2011年8月6日土曜日

66回目の原爆忌

犠牲者の皆様のご冥福を祈るとともに

今年は、福島の人的原子力災害で被災された

すべての皆様にお見舞い申し上げます。

また、今なお、原子力施設の最前線で懸命に使命感を持って

働き続ける皆様と

そのご家族の皆様に心から感謝申し上げます。

恥ずかしながら、まだテレビのない生活なので

ラジオで初めて、今朝の追悼式典は聞こうと思いましたが

どうも、ラジオのチャンネルがあわせれず

慌てて、携帯のワンセグ機能を使用し

式典に耳を澄ませ祈りました。

うちの周囲の蝉の声がいつもより大きかったのは

気のせいでしょうか?

小さい携帯から聞こえる音も、蝉の大合唱

きっと66年前のあの日もこのように

蝉の声が鳴り響いていた事でしょう。

市長のお話によると66年前の前日は、日曜日だったそうです。

苦しい戦時中ながらも、穏やかな日曜日を迎えた

その翌日が、想像だにしない恐るべき日だったのです。

いっぺんに何もが変わってしまったあの日から

もう66年、まだ66年 だけど・・・66年

戦争の始まりは、いろいろな理由があったと思いますが

尽きるは、エネルギー確保という観点からの政策だったと思います。

そして、残念ながらこのような恐ろしい爆弾が投下されることも

一部の人間は情報を掴み分かっていたのに、

それが回避されなかった事実も分かり始めました。

一般の無辜の市民が、無差別的に犠牲になったのです。

何を守るために始めた戦争だったのでしょうか?

当時、世界を席巻していた帝国主義の下

国として生き残るためには、こうするしかなかったというには

あまりにも大きな大きな犠牲だったと思います。

先の大戦で、多くの多大な尊い犠牲の元に

私たちは今、様々なものを享受しております。

そのような中での、今回の3月の大震災でした。

今年は、震災も含め、原子力というものについて

また政治の有り様・資源の使い方についても

今一度、私たちは歴史を紐解き

考えなおす年だと思った次第です。

2 件のコメント:

bossa さんのコメント...

こういう思いを書き出すのってパワーがいると思いますが、でも貴女のまわりの大事な方々に、そして何よりも貴女自身の内なるものに、言葉としてだけではなく、何かが伝わることが多いと思うのです。
こうしてシェアする貴女の勇気というか、潔さが心地良いです。
いつもありがとう。

COLUPUN さんのコメント...

bossaちゃんへ

こちらこそ、コメントつけにくいだろう
記事に、コメントいただき感謝です。
ちょうど1年前にこのブログ記事を
始めようとした趣旨が、
まずはこの内容の記事を立てることでした。

私的に気軽に日々のことを楽しんで
書くというのがブログの良いところ
だと思うのですが・・・

たまには、思うことだけど普段なかなか
口に出しにくいことも
書いてみようと思いました。
大切なことだと思うからです。

あなたをはじめ、周囲に温かい理解を
示してくださる方に感謝ばかりです。