その家は、いろんなものが、散乱し・放置されていた。
ゴミの収集日にあわせて、荷物を処分し
不用品を引取ってもらうのに
それなりに時間はかかったが、見事やり遂げた\(^o^)/
終わった後、妙な達成感がある。
今回思ったのは、人がモノ片付けるのには、
思い入れや、記憶も阻害するんだなぁと思った。
心身が健康で、気力が充実してないと、
スパっとお片づけできないなぁ~と思った。
卵が先か、鶏が先か分からないが、
お片づけと健康問題は相関関係があると思う。
そして、あの家は、ほんま色んな意味で
滞っていたなぁ~と思った。
片付いた家を見て、あの家はモノは言わないけど
手をかけると応えてくれるなぁ~と思った。
片付けるうちにちょっとした、愛情すら出てくる。
それと、いるもの・いらないものを適宜、取捨選択し
常に滞りなくすっきりさせるのが大切だと思った。
愛情をかけて、手入れするってホンマ大切だと思った。
別件で、別の家を見た、その家は非常に手入れされていて
すっきりしている。実に気持ちがいい。
どちらも、引越しした後の家を見た
どちらも、持主が不在になった家だけど
大きな差がある。
生きていると、意識してなくても、悪気がなくても
ほっといても誰かに迷惑をかける
それが生きるということだけど・・・
できるなら、自分が認識できる、その範囲では
それを最小限にしたいなぁ~と、ちょっと思った。
だから、自宅のお片づけをもう一段、
進めてみようと思う。
少しずつでも、前に進もうと思った。
2 件のコメント:
自分がニュートラルな状態でなければ片付けは滞るように思います。
ニュートラルは中庸とも言い換えることができますね。
己のバランスが取れていないと、捨てすぎたり、残しすぎたりするようです。
私は決して潔癖症でもきれい好きでもないのだけれど、羊の支配により(笑)小学生の時から部屋の模様替えが好きでした。このころから一人で箪笥や机を動かしていました。
そうすると必然的にモノの取捨選択をすることになります。
本能的に「要る」「要らない」を選別できた時と、何故か「すべて要る」になってしまう時がありました。今から思うと家庭環境(母が病床にあったので)、母のいないときはモノを捨てられなかったのかもしれないと思い当たります。
心と身体と環境により、お片付けの速度や正確性も左右されるのですね。
私もさらにいろいろ処分していますよ!
こるちゃんも頑張ってね。
haiji様
コメントありがとうございます。
姉様宅にはいつも余分なモノはないように
お見受けしますが、、、えぇ~(゜o゜)
まだ処分されるのがあるのですか。
そすたら、うちの家はどうなるんでしょ~
と比べてもしょうがないことが
頭に浮かびました。
最終目標は、明日家を出るとしても
鞄1つで出れるをゴールに
いろんなものを段階的に削いで
いきたいですな
さて、うちの羊男が模様替えはしたこと
ないなぁ~とコメント読んでました。
だけど隙あれば、人の部屋と自分の部屋を
変えたがるというのはよくありました。
ふぅむ。羊ならではなんでしょうかね?
そういえば、改めて私の周りは羊と牛で
けっこう取り囲まれているのが
明らかになりました。
不思議な不思議な現象です。
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